
天下人に重用され、わび茶を大成させた千利休。その精神は茶人たちに引き継がれ、生誕500年を迎えた今も存在感を放っている。利休ゆかりの場所や人物を巡った。(上村真也)
10月1日、北野天満宮(上京区)でギネス記録が生まれた。「お茶のオンライン交流会に参加した最多ユーザー数」。天満宮発の生配信は3475人が視聴し、思い思いに一服を味わってネットに写真を投稿した。
企画したのは茶系飲料大手「伊藤園」(東京)。イメージしたのは435年前――1587年の同じ日、同じ場所で開かれた「北野大茶湯」だ。
豊臣秀吉が発案し、利休が演出した一大イベントは、江戸時代の「北野大茶湯図」に描かれている。町人や農民も、釜一つ、
港町・堺の商家に生まれた利休。その足跡をたどると、豊かな水の音が聞こえてくる。
利休を茶頭に据えた織田信長は、京都でたびたび茶会を開いた。本能寺跡から程近い西洞院通三条下る(中京区)に湧くのが、利休が
利休は後の天下人・秀吉とも関係を深めた。秀吉が本拠としていた山崎に、利休作の茶室「
関白となり、権力をほしいままにした秀吉だが、利休との溝は次第に深まる。利休最後の屋敷は晴明神社(上京区)の境内にあった。ここで使ったのは、安倍晴明が念じて湧き出たと伝わる「晴明井」の水だ。
表千家、裏千家、武者小路千家の茶道三千家から近く、茶会にも用いられる。山口琢也宮司(61)は「ある方が『厳しい水』と表現されたことが忘れられない」という。扱いが難しいという意味か、利休の悲壮な最期に思いをはせずにいられないからか。
秀吉の
利休と秀吉。2人の決裂の理由は、しばしば二つの茶室になぞらえて語られてきた。豪華
京都国立博物館(東山区)で開催中の特別展「
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