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100年で人口が8割減 ハワイ・ワイキキの運命を変えたもの - 日経ビジネスオンライン

王族の別荘地として、富裕層の集うリゾート地として、変遷し発展してきたワイキキ。前編ではそこに至るまでの歴史を追った。ワイキキは優雅な時間が流れていた印象があるが、実は「ある問題」が起きていた。発展の裏側で起こっていたこととは。

前編・「水の恵み」ワイキキ その起源と王族別荘地への変遷の歴史

 タロイモ畑が広がり、王族がダンスや豪華な食事で客人をもてなす……のんびりとした農村の風景に加え、優雅な時間が流れていた1800年代後半のワイキキに、一つの巨大な「娯楽施設」が誕生した。

現在の「公園」の様相とは大きく異なっていたカピオラニ公園

現在のカピオラニ公園。巨大な広場では、スポーツの練習が行われている

現在のカピオラニ公園。巨大な広場では、スポーツの練習が行われている

 後にハワイの経済の柱となる、サトウキビ産業の伸びが好調だった1875年。当時の国王、カラカウア王は、米国との条約締結のためにワシントンDCへと向かった際、数々の公園を目にした。このことをきっかけに、ダイヤモンドヘッドの裾野に広がる土地を使って「公園」の造設が決まった。

 「カピオラニ公園(Kapiʻolani Regional Park)」と、王妃の名を冠した「公園」の造設に際し、費用調達のために高額なファンドが売り出され、購入者は周辺の土地を借りる権利を得ることができたことから、後に富裕層の豪邸が、海沿いに数多く立ち並ぶことになる。1877年(明治10年)、富裕層が好んだ「娯楽施設」を持つカピオラニ公園は完成した。

ダイヤモンドヘッド頂上から見たカピオラニ公園(写真:Hawaii Tourism Authority (HTA) / Tor Johnson)

ダイヤモンドヘッド頂上から見たカピオラニ公園(写真:Hawaii Tourism Authority (HTA) / Tor Johnson)

 木々のない、大きな広場が現在も残る。この場所には当初、巨大な楕円形のトラックが造られており、富裕層が、ある娯楽を楽しめるようになっていた。それは一体何だったのか?

富裕層がカピオラニ公園で楽しんでいた娯楽(写真:Hawaii State Archives GPNHIL-11-392)

富裕層がカピオラニ公園で楽しんでいた娯楽(写真:Hawaii State Archives GPNHIL-11-392)

 答えは、競馬だ。

 競馬は当時、ハワイでは王族と富裕層に好まれていた娯楽だ。カピオラニ公園は、競馬場と、馬を使った球技であるポロを行うフィールドが中心となって造られたものだった。そのため、周辺に住む一般の住民が気軽にピクニックをするような場所ではなく、彼らからは「見えない壁があるようだ」といわれていたような「公園」だった。この場所が一般住民も使えるようになったのは、王国が終焉(しゅうえん)を迎えた後の1896年のことだ。

 その頃、ワイキキに豪邸を構えていた人々の中に、ウォルター・チェンバレン・ピーコックという人物がいた。

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