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けんらん豪華な名古屋城本丸御殿 唯一簡素な黒木書院 その理由は・・・ - 読売新聞オンライン

 「徳川家の原点の世界観を示そうとしたのではないか」。名古屋市学芸員の朝日美砂子さん(63)は、名古屋城本丸御殿の黒木書院を前にそう話した。

 徳川家康が、大坂城の豊臣家に対する とりで として築城した名古屋城。3代将軍家光は、天下人となり平和維持の仕組みもつくった祖父を信奉しており、1634年、京都に向かう中で、その集大成の城で宿泊することになった。

 初代尾張藩主の家康の九男・義直は将軍への忠誠を示すべく、本丸御殿に上洛殿を新たに設けることを決めた。部屋の天井、壁だけでなく、廊下も、金や銀をふんだんに使った金具で彩り、狩野派の絵師が 金箔きんぱく も使って描いた障壁画をしつらえた。

 同時に、上洛殿奥に、もう一つ設けたのが黒木書院だ。ただ、2間の部屋と通路の天井は低い上、壁は白く飾り金具もない。本丸御殿で唯一、ヒノキではなく松が使われており、「この質素さは異様」と朝日さん。

 障壁画も特徴的で、最も格が高い「山水図」と2番目の「人物図」が室内に描かれている一方、廊下側には3番目の「花鳥図」がある。廊下側に 絵襖えぶすま がはめられることは珍しく、3種全てをそろえるため、意図的にはめ込んだとみられる。いずれも水墨主体の地味な仕様で、様式的にも古い。

 黒木書院が、他の建物の一部を移築したことは間違いなく、清須城の家康の居館との伝承もある。朝日さんは「義直が、おいの家光を連れて案内する際、息子である自分の方が、より血が濃いことを示そうとしたとも想像できる」と語る。

 名古屋城は本丸御殿を含め、太平洋戦争の空襲で焼失した。その焼け跡に残った飾り金具などを、職員たちが拾い集め、保存してきた。当時書かれた決裁文書には「再建の際に必要だから」などと記載されている。

 2018年に、忠実に復元された本丸御殿。戦火を逃れた障壁画の多くは国の重要文化財に指定され、取り付けることができないため、県内の絵師たちが復元模写を丁寧に制作している。「黒木書院を含めた本丸御殿の魅力を直接感じてほしい」。朝日さんはそう目を細めた。(石原宗明)

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